#126 マインドフルネス

「マインドフルネス」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

『今、この瞬間に』起こる事象に対して向き合うことの大切さを意味している。

忙しい現代である。携帯電話そしてスマホは「便利さ」と引き換えに「精神的なゆとり」を奪っているように見える。人々は常時管理されているような感覚になり、隙間にできた「ゆとり」の時間でさえ無意識にスマホを開いてしまう。

「マインドフルネス」という言葉を聞いたのは数年前で、その時もなんとなくこの言葉の意味に納得した。何か行動をしながら、頭の中では別のことを考えていた。無意識に「今」に集中できてないことに気付かされた。

本来ならば、心の健やかさを図る「マインドフルネス」も継続し実践して実生活に落とし込んで習慣化すべきものである。しかしながら日常は流れ、流されて大切な時間は自分でコントロールするよりも、何かに支配されているような感覚になる。

結局”マインドレス”な状況を作り出していることにはたと気づく。

もう一度この言葉の意味することを調べ直すきっかけがありハーバード・ビジネス・レビュー【EIシリーズ】著書「マインドフルネス」,2019.を読んでみた。

今回は、あるセミナーで受けた衝撃からの気づきとマインドフルネスの理解を整理してみたいと思う。

【私にとっての”ストレス”】
私にとっての”ストレス”は、思ったこと、考えたことを行動に起こす前から「でも、人はこう思うんじゃないか」とか「考えすぎじゃないか」とか「失敗するかも」とネガティブな思考が働いていて、自分で自分の考えを否定し、行動に起こせないことであった。

セミナーの中で自分の性格をプロファイル分析するというセッションがあった。私はまさに「慎重派タイプ」。しかし、よく考えてみると失敗したくないから、物事を慎重に進めているというよりむしろ「失敗すると〇〇(よくないことが起こる)」という考え方が先に働くから、自分を否定し始める気がした。


【失敗したくない=大切なものを守っている】
「失敗することで、何を失うことがあなたは怖いですか?それを考えてみてください」

さて・・・私は何を恐れているのだろう?何も失うものなどないし、私には地位もなければ名誉もない。大きな仕事を抱えているわけでもない。

何を恐れているのだろう?

それは単に小さな小さなプライド・・・勝手に想像している他人の評価だと思う。他人がどう思うか、自分の評価が下がらないか、仕事の依頼がもうこないのではないか。本当にちっぽけでこんなところに囚われる。つまらない人間だと思った。トレーナーという先の全く見えない難しいことは、向いてないし、そんなプライドを失いたくないなら、さっさと辞めればいいのに。

 

【何のために?】

自分に不向きなことは辞めればいい・・・なのになぜ私はこの道を進むのか?こういう面倒臭い性格がダメなのはわかっているが、これでずっと生きてきたのだから仕方がない。仕方ないからとことん考えてみることにした。

セミナーの中で「なぜ自分は指導するのか」と毎日考えなさい、と言われた。そして、私と同じように悩む人もいた。参加者ともセッションの中で「なぜ?」をお互い何度も、色んな人と話した。一つは過去に指導者から与えてもらったエネルギーに感動したという意見は多かった。だからそういう指導者になりたいという理由も多かった。そこで気づいたことは「私だけじゃないんだ」ということ。そしてそこで言われたことは「あなただけじゃない」ということ。

この一言が、どんなに自分の支えになったことか!

どうやら指導者は”エネルギー”を与えられる人であるには間違いない。

人に、選手に、チームに

エネルギーを与えるには、まず自分のカップ(=器)を常にエネルギーで満たしておかなければならない

ということをセミナーでは学んだ。

・・・ああ、そうか。自分のスキルをめいいっぱい活かせることこそ、私のエネルギーであり、それがスポーツ現場。だから、この仕事が好きなんだ・・・。

 

【マインドフルネスとは】

マインドフルネスとは。

自分自身をもう一度新しく、力(=エネルギー)で満たすこと

自分のカップにエネルギーを満たしておくことは生きる上で大事なことである。

そして「仕事」こそ「人間の幸福の一つ」に含まれることを知る。

心と体の全てを使って目の前の仕事に集中すること

心と体の全てを使って集中できる仕事がつまり私にとってはトレーナーである。

”マインドフル”な状態は、マイナス感情を背負ってくる選手ばかりを相手にするトレーナーの仕事では必要不可欠なことである。「今、この瞬間に」集中することがいい仕事をする一つの手段であるならば、この仕事をするにあたり何も恐れることはない、と思えるようになった。なぜなら私はもうその術は自然と身につけていたからだ。

【マインドフルな状態であること】

勝手に作り上げた”真実”が自分にとって強い不安に囚われ、それが思考に悪い影響を与えていたのだな、ということは本を読んで理解した。

勝手にネガティブな判断をしたり、自分には解決できないかもしれないと思い込むことは、すでに目の前に起こる「今、この瞬間」を完全に無視することとなる。だからとてもストレスに感じるし、そこから何も生まれないことにも理解した。

しかしながら「今、この瞬間」は物事の良し悪しを判断するものではない。とかく人が人と向き合った時、”先入観なく目の前のあなたに集中するし、あなたに心を開いていますよ”ということが、我々の仕事で使うコミュニケーションでは大事だと思った。

時に、他人から選手のことについての様々な情報が入ってくる。貴重な情報でもあるし、余計な情報でもある。

その情報ばかりを鵜呑みにせず、とりあえず私の目の前の姿、会話に集中することにしている。先入観を持たず、しっかりとその人の言葉を聞くことに集中する。自分のレンズを通して相手と接し、話の揚げ足を取ったりしなければその瞬間の真意は聞き取ることができる。

気をつけるべきは、人の考えも自分の考えも変化するということを理解しておくことである。つまりその瞬間の会話は、次の瞬間には異なるものと捉えること。

今日の問題を昨日の方法で解決することはできない。誰かに与えられたルールは作った人にとっては有効だが、その人との隔たりが大きくなるほど効果は薄れる

人は成長する。自分も成長しなければ確実に人と人との距離は広がる。

「今、この瞬間に」向き合う。先入観を捨て続ける。

自分の経験の中で「こうかな?」と想像し、恐る恐る取り入れてきたことが最近「マインドフルネス」という言葉に繋がったし「マインドフルネス」はエビデンスに基づいた人間が幸せに生きることができる方法だと思う。

【マインドフルネスの習慣化】

知らず知らずのうちに習慣化していた朝のジョギングのルーティンが私にとっては思考をリセットするものとなっていたようだ。

走ることに集中しているか、といえばそうでもない。昨日のことを反省したり、これでよかったのだろうか、あの人は嫌な気持ちになってないだろうか、と結局考えたりしている(笑)。面白いのは、考えが深くなると、足が止まることだ。思考の分量が運動量より多くなると、考える方にエネルギーを取られるらしい。

ジョギングの最後に私は坂道ダッシュと階段ダッシュを入れているが、その時は当然、何も考えてない。しかも結構心拍数を上げる運動をした後は、ジョギングで悩んでいたことも忘れていたり「ま、いいか」と思うことに気づいた。

運動することでストレス解消の効果があるとはまさしくこのことだろう。

では、考える余裕もないくらい走るペースを上げればいいのだろうが、そんなことをしたらきっと今度は走ることが嫌になってしまうのでその辺りのバランスは中々難しい。

【人それぞれの人生だから】

「マインドフルネス」が全てではないし「マインドフルネス」は決して人に押し付けるものでもないと思うが、自分の気持ちが軽くなる方法は知らないだけで探せばきっとあるよと困っている人には言いたい。

運動指導をしていて思うように、いくら重要で良いことであってもその人自身が求めていないと情報は入ってこない。ちょっと困ったり悩むことがないと人の思考は新しいものを求めないから不思議だなあと思う。

健康はかけがえのない財産であり、その人の資本だと思う反面、上記のようにも思ってしまう。しかしながら、何か工夫して発信することで我々の価値をあげていくようにしないと、いくら好きでも”趣味”で終わっては全然面白くない。

話は最初に戻るが、私に失うものはない。

私の人生は私次第。毎日毎日、自分でエネルギーを溜めるコツが『今、この瞬間』を生きることなのだと今は思っている。

 

 

 

About the author: MISAKA AYA

バレーボール競技専門の女性フィジカルトレーナーです。 現場での活動を通して、スポーツについて思うこと、選手と指導者、チームとの関わり方、目標とする大会へ向けての準備(コンディショニング)について書いています。バレーボーラーの日頃の活動の+αに繋がれば幸いです。