#124 他者との関わりの中で気づく

トレーナーという仕事をさせていただく中で、1番の大きな変化は、多くの人と知り合う機会が増えたことです。
年齢層も幅広く、男女も問わず、以前にも増して感じることは「人の考え方の多様さ」です。

今回は、「トレーナーとして、他者との関わりの中で気付こと」というテーマで呟きます。

【勘違いしていたこと】


”教える”=”良いサポート”は必ずしも一致しない、ということです。

選手やクライアントの要望には、大いに「応えたい」と思うし、短時間で要求に応じ ”なければならない” と思っていました。それが、専門家である私の仕事なのだと。。

そういう信念とは裏腹に、

不調を訴える身体の ”裏” にはほとんどと言っていいほど ”不安定な心” が存在することにも気づいてしまいます。それでも私は「要求」に応えることが大事なのだ、と自分に言い聞かせていたような気がします。

でも、、ある時、他のトレーナーさんが「何にも声をかけずに、ただただ横に座っていた時もありますよ」と言っていた言葉を思い出します。

ひたすら ”学んだ技術” を選手に伝える(=教える)ことで身体が楽になったり、良いパフォーマンスが発揮できることが「選手が求めること」であり、それを可能にしていくことが「私の仕事」だと思っていたけれど、時と場合によっては違うんですよね・・・

そんな時には『自分の体を、まず大事にしてね』と伝えます。自分自身を大切にすることは、決して弱いことではないんだよ、っていうことに気づいてくれたらいいなって思います。

 

【答えは自分で見つけるしかない】


どんなに「良い情報」でもその人が求めていければ、人には伝わらない。結局、どんなに困っていても苦しくてもその”答え”は、自分で見つけるしかないんだということを嫌というほど、思い知らされます。
しかも、答えはすぐに見つかるものでもなくて・・・気づきの繰り返しで自分の考えていることに納得する時間も必要で、時間をかけることで、最初の悩みや苦しみも変化することにも気づかされます。

「長く苦しんでいたが、なんか考えていたらどうでも良くなった」と開き直ったことを伝えにきた選手がいました。
ああ、そうなんだね、苦しかったんだね、としか私は言えないのですが、その子は、「他の人の言動を見た時に、こんなことで悩むのが馬鹿馬鹿しくなった」のだと話してくれました。同時に、これから何度も悩むのだろうけど、と笑いながら、少し不安も垣間見える。それでも何か自分で ”気づいた” 姿は、とても清々しく見えました。


【自分を曝(さら)け出す】


私は、他人に心を開くことが得意ではありません。よっぽどのことがない限り他人に相談することや悩みを打ち明ける方ではないけれど、最近はあえて自分という人間が思っていることを伝えるようにしています。


そもそも私はメンタルケアする専門家でもないし、そういう知識もなくただのトレーナーです。が、前述のように身体だけでなく相手の心(思考)と対峙すること、もしかしたら、心(私は思考、つまり考え方と捉えています)を支えてほしいと思っているかもしれない、と想定しなければなりません。


聞くだけ聞いて「そうなんだ」と答えるのがいい場合もあります。でも大抵の選手は ”何と伝えていいのかわからないけれど心が苦しい” と感じて、うまく表現できずにいる子が多いような気がします。

その気持ちが、とてもよくわかるんですよね・・・私自身が人と話すのが苦手だから。だからこそ何かこちらが「喋る」方がいいのかな、と思うけど、何を話せばいいのかわからないので自分のことを話します。答えは、ない。こうしなさい、とも言えないけど「私は実はこんなことを思うことがあるんだよ」という経験や思考を話します。


これが、いいのかどうかはわからない(笑)けど、私が精一杯考えた末の ”できること” です。正直、その子の心は理解することができません。苦しんで悩んでいることはわかるけど、本当のことはわからない。

自分もね、同じように悩んできたし、今もとても色々なことがわからないから、悩んでいるんだよ、ということを一生懸命話します。

私の話を聞きながら涙を流す子もいれば、思っていることをポツリと話してくれる子もいます。そういう関わりしかできないけど、悩むことも大切なんじゃないかと考えて、伝えるようにしています。

【求めるもの】


コロナ禍で、人と時間を共有することさえ悪とされるこの異常事態ですが、良いか悪いか私はあまり人と接することが得意ではない人間なので、そういう面に関して支障がないかもしれない。むしろ、自分で色々考えたり、学べる時間ができて、逆に気づきが多かったし、同時に少しづつ人と関わる機会が増えてきた中で、自分の気づきを”実践”しながら、また気づかされていることに気づきます。

願わくば、私にも思考を支えてくれる人(メンターと呼ぶそうですが)が欲しい、と思うようになりました。やっぱり辛い時もあります。(「大丈夫だよ、できるよ」って言ってくれる人がいたら、号泣だろうな・・・)

大人は、経験値の分だけ意識的にそれをコントロールすることができます。大人になるまでの人との関わりはとても大切なことかもしれません。人と関わることは “面倒” なことも確かにあるのだけれど、”面倒だ” と感じるきっかけもまた、人と関わることで気づかされ、その刺激も経験値として刻まれるような気がします。

誰しも、自分の成長や環境の変化によって、支えてくれる”人”も当然変化するものなのかもしれない、と考えています。恩師や親はもちろん成長の過程で大切な存在ですが、ずっと同じように理解してくれているとは思わない方がいいのではないか、と思うようになりました。成長するためには、自分とは違う考え方の人と接する中で「嫌だなあ」とか「合わないなあ」という気づき、そこからその人との関係性をどうするのか考えること、悩みながらも、何か気づく瞬間がある。その時は苦しいけど、、

だから、縁があって出会った人との時間は大切にしたい。

私ができることは、遠くの誰かではなく、今目の前にいる人に自分の技術や経験を伝えること。支えになるかどうかわからないけど、ただ一生懸命、その瞬間に思ったことをやるしかない。失敗もするし、ダメだなあと思うこともあるけど、ある人の言葉を胸に頑張ることにしている。

昨日の失敗も気づきも、今日の自分のための素晴らしい経験である

「ママってこういう格言的なこと、好きだよね」ってうちの娘が小バカにするんですけど(苦)!

こうして、誰かに、誰かの言葉に支えられたとしても、良い方向に考え方を変えられるなら、悪くないんだぞ。ほっとけ小娘よ。

 

About the author: MISAKA AYA

バレーボール競技専門の女性フィジカルトレーナーです。 現場での活動を通して、スポーツについて思うこと、選手と指導者、チームとの関わり方、目標とする大会へ向けての準備(コンディショニング)について書いています。バレーボーラーの日頃の活動の+αに繋がれば幸いです。