2025年8月末、卵巣腫瘍が見つかり、10月に摘出術を行いました
11月の術後診察で「卵巣がんステージⅡA」と診断され、抗がん剤治療を受けなければならないことを告げられました
抗がん剤治療を1クール目を終えて4日目、いろんな副作用を感じながらパソコンに向かっています
<内容>
・告知を受けた日のこと
・治療が始まるまで
・抗がん剤治療1クール目を終えて
・今の正直な気持ち
●告知を受けた日のこと
「まさか」
その一言でした
私の中で「手術が終わればすべて終了」と勝手に思い込んでいました
ただ、変に冷静でもあり、とりあえず今後の治療の流れなどおおまかなことを聞きました
一番に頭によぎったのは、20日後に控えた”大会帯同(全日本インカレ)”でした
医師は「術後から治療期間はなるべく空けないほうがいいから、来週からの入院はどうか」と勧められましたが
大会へ帯同できる可能性にかけて、一週間伸ばしてもらうことをお願いしました
その選択すら、その時は正しいのかわからなかったけれど、その時はとにかく”心の準備の時間”が欲しかったです
●治療が始まるまで
診察が終わり、その足で向かったのは病院内の「がん支援センター」でした
とにかく、どうしたらいいのかわからなくて、相談をしなければならないと思いました
多分、私はすでに冷静さは失っていたと思います
支援センターの看護師さんは、急な訪問にも温かく迎えてくださりました
まず”脱毛”のこと、その準備はどうしたらいいのか相談しました
そこで、鹿児島市内に治療後の脱毛専門の美容院があることを聞きました
どんなもの、どんなことを準備すればいいのか教えていただきました
それでも本当に心配していたことは、真っ先に出てこないんですよね・・・
「私は、自分が治療を受けて、人のサポート(大会帯同)ができるのでしょうか?」
この言葉が口から出た時、思わず涙が出ました
一番大事な試合だから、中途半端では逆にチームに迷惑をかけてしまうこともわかっている
「それでも私は、行きたいと思っているんですが、どうでしょうか?」
看護師さんは「行きましょう!」と力強く背中を押してくれました
治療には”メンタル(精神力)が一番大事だから”という言葉が本当に勇気をいただきました
そんな私に、神様がひとときの”ご褒美”をくれました
本来ならば、がんの告知から2週間後の11月27日から1回目の抗がん剤治療が始まる予定でした
前日に入院し、血液検査の結果から「まさか」は起こりました
私はB型肝炎のキャリア(ウイルス保持者)なのですが、肝炎ウイルスの増殖量が高すぎて
まずウイルス量を下げないと、抗がん剤治療が受けられない(肝臓のダメージが大きくなる)と言われました

そこから「2週間の服薬でウイルス量の低減次第」ということで一旦、治療予定は未定となり
嬉しい「まさか」のおかげで、何の不安もなく大会へ帯同することができました
大会へ元気に行き、学生と一緒に戦う時間は本当に幸せでした
それだけでなく、素晴らしい結果に立ち会えることができたことにただ、感謝するばかりでした

●抗がん剤治療1クール目を終えて
肝炎ウイルスの服薬から2週間後、8.5 から5.7 へ数値が下がっていることが確認できました

ただ、リスクなく安心できる数値は 3.0以下だということで肝臓の先生から言われ
しかしながら婦人科の先生としては期間を空けたくないというせめぎあいがあると告げられました
最終的に、私に判断は委ねられ「治療をします、何か問題が起こればお願いします」とお伝えしました
1クール目は、12月21日に入院し22日に治療、翌日の朝、退院でした
治療当日は点滴ルートを確保、心電図モニターが装着され、抗アレルギー薬と吐き気どめの点滴
それから治療薬が3〜4時間程度体に入っていきました
最初の15分程度は、看護師さんの付き添いのもと血圧やモニターチェックがありました
その後は強い眠気に襲われて、食事とトイレ以外は眠っていました
治療直後、退院時もそれほど体調に目立った変化はなかったのですが
「徐々に」というか、今は吐き気(気分の悪さ)や顔の紅潮、関節の動かしにくさ、倦怠感はあります
それでもこうしてじっと座っている分には何も困ることはなく
普通に生活することはできそうです
治療薬の副作用を服薬で症状を抑えていく、という対処療法しかないようですが
それでも想像以上に、状態は安定しています
●今の正直な気持ち
まだ1クール目、正直不安がないとも言えません
次の入院は1月14日。この間に血液検査や診察を行いながら3週間おきに入退院を繰り返すこと6クール・・・
2週間を目処に、おそらく”脱毛”が始まります(無い場合もある、とも言われましたが)
流石に最初はショックを受けるだろうな、と思います
慣れてしまえば、と思っていますが・・・
これから治療が進み、薬剤が体に溜まってくると手足の痺れなどが出てくるともきいています
「普通にできるだけ生活したい」
そう考えていますが、年があけてやりたいこと、やらなければならないことをこなせるのだろうか、という
漠然とした不安も抱えています
8月に腫瘍が見つかった時から、私は本当にこの現実を受け入れているのかどうかすらわかりません
自分のことなのに、どこかまだ他人事のような状態で、言われるがまま、現実を淡々とこなしている感覚です
ただ、言えることは「私は死なない」ということです
再発予防のための治療であり、現状はガンに罹患していることは限りなく低く、とても運が良かったのです
でも、それを本心として口に出せるのは
全ての治療が終わった先だろうな、と思う今日この頃です
