#108 スマホとカラダの共通点

「カラダはスマホのようなもの」

 

師匠が言っていた言葉をずっと頭の中で繰り返している。

その言葉だけが残って、真意は聞いていない。

 

触れただけで瞬時に反応し、画面の押し込み圧に反応する。

人間の感覚のセンサーは「圧・振動・温度」しか感知しないそうだ。

スマホ画面のこのセンサーの事を指しての「この言葉」なのかもしれない。

 

私には、まだその辺りのことをなんとなくしか落とし込めてなくて

また違った方向から「カラダはスマホ」という言葉の意味を捉え、納得している。

 

これだけハイスペックなツールをほとんど全ての人間が手にしているにもかかわらず

私も含め、このツールの機能を使いこなせている人間の方が少ないと思う。

電話の機能だけあればいい人もいるし、メールや写真機能+検索機能が使えれば十分の人もいる。

ともあれ、このスマホの出現当初からすると

そんなに使いこなせなくても

「便利なもの」から「生活に必要不可欠なもの」として

所持することが当たり前になっている。

 

道具というのは、使えば本当に便利なものだが

便利が故に、人間の機能をダメにしてしまうことも大いにある・・・特に健康に関しては・・・

 

・・・そこはさておき。

 

このスマホがすごいのは、日々アップデートして機能改善を図ること。

より便利な機能をもたらしてくれる。

使う人にとっては、良い機能はさらに人生を豊かにしてくれる。時間の削減、仕事の効率化・・・

「あったらいいな」の発想は無限大。

 

人間のカラダがスマホに似ているのは、こういうところだと私は思う。

カラダも使えば使うほど、中身が変化し、成長する。

使い方を間違えたり、丁寧に扱わないと壊れることがある。

新しい情報を入手し、アンテナを張っておけばアップデートするタイミングが訪れる。

そして、スペックは使い方次第というところが似ている。

 

せっかく持っている機能を使いこなせるかどうかは

その人次第で、その人を取り巻く環境次第というところが似ている。

 

みんな、スマホは「使っている」けれど

「使いこなしているか」「使いこなそうとしているか」は

行動を選択することができる。

使いこなすことが面倒だと思えば

そのままの機能のまま使い、壊れた頃や新しいものが出る頃に

買い換えてしまえばいい。

 

私は時々、思う。

「選手も、スマホのようにに捉えられていないだろうか?」と

不安になる。

いい選手が集まれば、無論勝利の確率は上がる。

勝てなくなれば、選手のせい?

また新たにハイスペックな選手を連れて来ればいいのだろうか・・・?

 

人の成長は、様々な環境に左右される。

モノの考え方も、価値観も。

 

そういう中に自分もいて、自分自身もまた

親から頂いたこのスペックを果たして使いこなせているのだろうか?

 

少なくとも、こういう感覚を持ちながら

選手一人一人と、向き合っていきたい。

 

 

About the author: MISAKA AYA

バレーボール競技専門の女性フィジカルトレーナーです。 現場での活動を通して、スポーツについて思うこと、選手と指導者、チームとの関わり方、目標とする大会へ向けての準備(コンディショニング)について書いています。バレーボーラーの日頃の活動の+αに繋がれば幸いです。